そして、今でも思い出すと胸が少し疼くエピソードがある。それは祇園の舞妓の姉妹とのことである。

京都には今も昔も祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒の五つの花街があるのだが、彼女

たちは多分祇園甲部に所属していて、その花街の置屋に代々受け継がれてきた芸名を名乗っていた。

正確には覚えていないが、豆千代とか豆菊とか頭に"豆"がついていたと思う。この姉妹は"林バンド"

が気に入って「キャッスル」に良く飲みに来ていた。一般的に祇園の舞妓というのは、ともすれば地元

京都の女の子がなるものと思われがちだが、実際は結構地方から来ている子が多い。この姉妹も確か

九州出身だったと思う。姉の方は少しポッチャリしていて、妹の方はほっそりしていた。ふたりは"林バン

ド"の中でも私がお気に入りだったのか、一度昼間に八坂神社のそばにあった有名なホテルの喫茶店

に呼び出されて三人で他愛のない話をしたことがある。そしてある日その姉妹の妹の方がひとりで

「キャッスル」に来て、その日のラスト・ステージが朝方に終わった時のことでした。私が帰ろうと店を出

ると何故かその舞妓(余計な事だが勿論、格好はだらりの帯とかの所謂、舞妓姿ではなくて普通の私服

だった)が黙って私のあとをついてくるのだ。彼女は当然酒で酔っているし、何か少し思い詰めているよう

でもあるし、何も言わないし、私はその時凄く体調が悪かったこともあって非常に困惑してしまった。彼

女は一体どうしたかったのだろう。それで私なりに彼女のその時の行動と思いについて多分に妄想を

交えながら推理してみた。それはこうだ。彼女は不本意な「水揚げ」で旦那というパトロンに見受けされ

る前に好きな、もしくは少なくとも嫌いではない身近な男、つまり「私」に女の子の一番大事なものを奪っ

てもらいたいと思い詰めたのではないか。(呆れて引かないようにね)しかし、その時の私はそこまで頭も

回らなかったし、なにせ体調が頗る悪かったし、少しでも早く帰って眠りたかった。そこで私がどうしたか

というと、なんと小鳥のキスの様に極めて軽く彼女の唇にキスをしたのだ。それは今考えると多分に衝

動的で発作的な行動だった。場所は以前三人で談笑したことのある、あの有名なホテルの真ん前。

朝方と言えども八坂神社のすぐそばでタクシーも何台か止まっていたし、何人か通行人もいたと思う。

なんと恥知らずな行いだろう。                                                   何故私はそんな行動に出たのか。